居眠りの後に

NHKEテレの趣味Do楽は2月から「茶の湯と出会う」が始まっている。

テキストまで準備してテレビの前に座るがまともに最後まで見たのは第一回のみ。二回目からは寝てしまうのだ。昨夜も寝てしまった。

こんなことではとテキストを斜め読みすると筒井紘一氏が「濃茶と薄茶」と題した一文を書いている。

 

濃茶と薄茶はいつ分かれたか。なんと紹鴎の時代らしい。なんでもかんでも利休からではないらしい。ところがその時代は濃茶も薄茶も各服点てだったとのこと。それを現在のような吸茶(すいちゃ)形式にしたのが利休。近松茂矩『茶湯古事談』にあるという。それによると武将ばかりを招いたある茶会で各服に点てて出していると時間がかかりすぎ、危急存亡にそなえなければならない武士に間延びを感じさせるからといって飲み回しにする吸茶をはじめたと。

 

先日のゼミで講師が濃茶でなぜ中仕舞いをするか知っているか。それは昔は亭主も点前座で濃茶の回しのみに参加していたからだと言ったが、今の形式になるまでいろいろ変遷があったのだなと妙に実感する私がいて面白い。

 

当たり前と言えば当たり前のことなのだが、何か腑に落ち方が実感をともなうのだ。

 

そしてこの吸茶形式がキリスト教のミサとよく似ているという人もいる。先日の若い茶人もそのようなことを実際にミサをみて実感をもって似ていると思ったそうだ。