予習して臨む

昨日の淡交会でもう一つ書くことがあった。横に座った人がちゃんと予習をして臨んでいることがわかったのだ。

 

予定表は年の始めに渡されるので前日に明日の内容はと見ることはあっても予習まではしなかった。

 

刺激を受けた。私もそうしよう。

 

とにかく、知識が足りない。昨日も鬼面風炉が使われたのだが、したがって風炉の且座になったのだが、鐶は始め上げておいて始まり点前の途中で下ろして最後再びあげた。私は準備された方がまちがって上げたままにしていると思っていた!

 

それから鬼面風炉を後から見ることはなかったので改めて知ったのだが、火窓は前と後の二カ所にあった。空気の通りを考えれば当たり前なのに。知らなかった。

 

習えば習うほど知らないことが増えていく。

弥生寒波

今日の淡交会は利休忌だった。花寄せの式と且座の式。二つの支部の合同で開くので駐車スペースは車がびっしり。

 

しかし、皆さん、相客に心せよの言葉通り、思いやりがあって節度があって気持ちよい集まりである。いいなぁと思うモデルがいっぱいいらっしゃる。

 

利休居士の掛け軸の前にのびやかな菜の花が生けてある。外は雪がぱらつき、庭に目をやれば紅梅白梅の五分咲き。車の中のラジオで「弥生寒波」という言葉を聞いた。

 

いいなぁ、弥生寒波。

 

帰宅して少し休んで真の台子を組み立て道具を出す。台子の薄茶のお点前が4月に当たっているのだ。今日から練習をはじめよう。まずは道具出し。

羽生結弦選手を応援する絵馬で有名な弓弦羽神社は毎月、釜がかかります

友人に誘われ、弓弦羽神社の月釜に行った。香雪美術館の横にある。

社中の方達のお道具持ちよりでなさった会とのこと。

伸びやかな温かい雰囲気が感じられる。

 

とても大きな社中で何十人と所属されている。先生のご人徳なのだろう。大先生のお顔は拝見できなかったが、お運びの人の中に思わぬ顔。このお社中なのだそうだ。その人は淡交会の幹事をされ、ご自宅でもたくさんの人を教えておられる。ある縁で知り合い、人柄にひかれている。今度お茶事に招いていただいている。

 

リンクが広がる楽しさ、そして別のリンクと思っていたのが交差していたりする。

 

お茶のリンクはなかなかに面白い。

 

お茶勺の銘は「訪れ」。お菓子は「わかくさびな」、神戸常盤堂の製。山雲棚。炉縁は四季七宝の蒔絵。

 

後見の方もにこやかで物腰柔らかく、素敵だった。

 

普段のお稽古もよい雰囲気でおこなわれているのだろうなぁ。

 

香雪美術館では日本画の森田りえ子展が開かれている。時間的に寄ることはできなかった。日を改めて来ることにしよう。

深呼吸

所作の美しい人になりたい。

しあわせなことに身近にお手本がいる。

年はうんと下の人であるが、立ち居振る舞い、とにかく美しい。心根も美しい。そして聡明な人だ。お茶人というのはこういう人を言うのだろう。

経済的も恵まれた人のように思える。数寄屋袋の布地の艶が違う。お着物も帯もいつも素敵。

持ち物は無理だけれど所作、心遣いは私もがんばったら近づけるだろう。

 

今日でアルバイトの仕事は終わった。全て自分の持ち時間になった。ホントに自由。深呼吸する。

居眠りの後に

NHKEテレの趣味Do楽は2月から「茶の湯と出会う」が始まっている。

テキストまで準備してテレビの前に座るがまともに最後まで見たのは第一回のみ。二回目からは寝てしまうのだ。昨夜も寝てしまった。

こんなことではとテキストを斜め読みすると筒井紘一氏が「濃茶と薄茶」と題した一文を書いている。

 

濃茶と薄茶はいつ分かれたか。なんと紹鴎の時代らしい。なんでもかんでも利休からではないらしい。ところがその時代は濃茶も薄茶も各服点てだったとのこと。それを現在のような吸茶(すいちゃ)形式にしたのが利休。近松茂矩『茶湯古事談』にあるという。それによると武将ばかりを招いたある茶会で各服に点てて出していると時間がかかりすぎ、危急存亡にそなえなければならない武士に間延びを感じさせるからといって飲み回しにする吸茶をはじめたと。

 

先日のゼミで講師が濃茶でなぜ中仕舞いをするか知っているか。それは昔は亭主も点前座で濃茶の回しのみに参加していたからだと言ったが、今の形式になるまでいろいろ変遷があったのだなと妙に実感する私がいて面白い。

 

当たり前と言えば当たり前のことなのだが、何か腑に落ち方が実感をともなうのだ。

 

そしてこの吸茶形式がキリスト教のミサとよく似ているという人もいる。先日の若い茶人もそのようなことを実際にミサをみて実感をもって似ていると思ったそうだ。

鴨川が締め

楽美術館を後にして少し歩く。京都に住む友人なので、地理がわかっていておまけにグルメさんなので有り難い。

少し行くと「とらや」があった。私はこのときまで京都にとらやのお店があるとは露知らなかった。

近くに「縁」という料理屋さんがある。とらやの近くなので通の間では「ねこや」と呼ばれている評判の店らしい。

烏丸通りにでてタクシーを拾い、市役所の近くに行く。

ランチを食べる「旬 華遊亭」。

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このあと、若い人たちが主催する茶会に参加。大徳寺の近く、紫野高校のグラウンドの隣。

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若者の茶に向かう姿勢がキラキラまぶしくて清々しい茶会だった。着物を着ていたためか、そして一番年長だったためか、正客をやらせていただく。ある大学の茶道部つながりの人たちであったが、主催者は茶をカナダ人に習っているという。もう一人はデンマーク人に習っているという。端々に日本人よりもっと茶禅一味の稽古であることがうかがわれ、これまた感動。

 

その後、バスで移動。北大路バスセンターで降りて、鴨川の河原へ。テント張りの簡易茶室で茶をふるまっている御仁がいるときいて訪ねた。主菓子はふかしたサツマイモ。茶は「育みの白」、手捻りの茶碗でいただいた。このお茶のおいしかったこと。。。話はお茶以上に味わい深く、またたくまに時間が過ぎていく。ただものではない、この人は。

 

日も落ちて薄暮の中を地下鉄に急ぐ。

 

実に楽しい一日であった。お茶でつながれていく出会い。。。

象太郎

友に誘われて京都に行く。

楽美術館で待ち合わせ。1本、筋を間違えて少し遅れて着く。

「楽歴代 干支・動物たちの新春」1/7から3/2までの新春展。新春という言葉がそぐわない、はや2月も終わり。

印象に残ったのが象太郎という十代旦入による赤楽の茶碗。表千家の覚々斎の100回忌の際に覚々斎手作りの象太郎と名付けられた茶碗を写したもので100個作られたという。将軍吉宗の時代にタイから幕府に象が贈られ、長崎から江戸まで歩いての道のり、沿道の人々が初めて見る象に驚き、大評判になったという。その象の足をイメージした筒茶碗の写し。本歌を知らないが、茶人の、象の足をイメージした茶碗をつくろうという発想がおもしろいのとプロの陶工のその写しが何とも味わいがあって楽しさがあって千家と楽家のきずなを深く感じさせた。

ここには茶のことを記そうと思う。